てしごと はじめのいっぽ!

日々の暮らしに手仕事を。

子どもの幸せを願うこと、子どもを手放すこと

友人から、嬉しいメッセージが届きました。

手仕事本に見入っていたと思ったら、試験中のくせに、
 
 
羊毛ボールを作り始め
😍1
 
 
こうなった。
そして「この本どこで売ってるのー?」と言っている😂
😆
 
 

 

嬉しすぎる……
りんごかわゆい
いいんだけどね、嬉しそうに見せにきたんだけどね、
試験中なのだよ……

羊毛セットとか、教えたら買いそうである。

「大人の手仕事クラスってないのー? 行きたいー」だってよ。

こんなところに客発見😂

 
まさかの笑笑
「大人向けのは、すなわちお母さん向けなので、平日午前なのじゃ」と言ったら
「えー😩
あっ、でも3年になったら授業ない日もある♪」
  
 
ありがとよー涙
本は1冊売ってやってもよいが、このあと3冊出てさらに合本版も出るかも、と言ったら
じゃあそれ買う♪ と言っている
 
あざっす笑笑

 

このお嬢さんは、私の娘の2個上。年少のときの年長さん。講座に来てくれるのが本当に楽しみです! 若い子に受け入れられたのが、何よりうれしい。

子育てが始まり、一番上の子が中学生になって、だんだんと自立のときが見えてくると、大切なことや、伝えておきたいことが、ふと浮かぶようになりました。

伝えることと、押し付けることの境目が、親子だとなかなか難しいですね。

繊細な子だと、親は伝えただけつもりなのに押し付けられたように感じるかもしれません。

繊細な母は、そう思われるのが嫌で、「自由にさせている」という大義名分で、実は何も言えないかもしれません。

「大人の言うことは聞くもんだ」という時代は遠のき……というのも、大人の言うこと聞こうにも、時代が変化しすぎて、大人は黙るしかないのです。お母さんの子供の頃は、スマホなかったからな……とかね。難しい時代です。

「伝える」と「押し付ける」については、こちらにも書きました。

www.wonders.fun

こちらの持ってるものを渡して、それを受け取るかどうか、どうするかは本人の自由にまかせる、捨てても怒らない……このあたりが落としどころでしょうか。

親が子に幸せを願うことの、当たり前の窮屈さ

親だったら、子の幸せを願うのは、「当たり前」。

その願いの中の「幸せ」のイメージが、親と子で違っていることに、わりと大人は無頓着です。自分が子供だった頃は、「お母さんの幸せは私の幸せと違うのにな」なんて思っていたのに。

太く短く生きるか、細く長く生きるか。安全に生きるか、冒険したいのか。

ニコニコのんびりと生きていきたいのか、魂燃やしてヒリヒリ生きていきたいのか。

その子がどんな人生を選んできたのか、歩もうとしているのか。

それは、その子にしか、その子にすら、分からないことでしょう。

次の言葉は、英語教育者にして、英国人智学協会の重鎮・アンドリュー・ウォルパート氏の講演会での言葉です。

 でも、皆さんは子どもたちの未来を信頼する勇気はありますか? 子どもたちにあなた自身が想像できる幸せな未来を選んでほしいと願ってはいませんか? 苦しむであろう困難な道は避けさせたいと思っていませんか?

NPO法人横浜シュタイナー学園ニューズレターNo.115より引用。https://yokohama-steiner.jp/

「子どもたちの未来を信頼する勇気」とは、「幸せな未来を選んでほしいと願」うこととは、少し違うんですね。

幸せであることを願う、ということは、その子が困難な道にある状況を認めない、ということと表裏一体かもしれません。 

子が苦しむ道を避けさせたいという親の願いは、子の「かくありたい」という思いを損なうことがあります。 

荒野に夢中という幸せもある

姫野カオルコさんの小説「整形美女」のラストシーン、登場人物の一人は、ラスト、どう考えても幸せではないような道を進みます。

物語を見守る大曽根三ヶ衛(ミカエ:もちろん大天使ミカエルがモチーフ)は、それでも、欲望の荒野を闊歩するその人を見て「荒野に夢中という幸せもある」と、祝福します。

いち読者である私は、「あの人考え直して、あっちに行けば、もっと幸せなのに」などと、思ってしまいましたが、全くの《余計なお世話》であることに気付きました。

その人が幸せかどうかは、私が決めることではない。

「荒野に夢中という幸せもある。」

いい言葉ですね。

私たち大人が子供に願うことは、

「あなたがあなたでありますように」

に尽きるのではないでしょうか。

それはつまり、「荒野に夢中」なその子のことも、口を出し過ぎず、見捨てず、見守り続けるということなのでしょう、けれども、この塩梅がまた難しい。

子どもに口出し過ぎず、見捨てず、見守る

その点において、お母さんにはお母さん自身の「やること」があってある程度忙しい方が、子どもにとっては健全なのです。

私には、こどもが危なくないように神経を使い、ヘトヘトになっていた時代があった。そんな全く気が抜けない状況だったから、手仕事なんて無理!と思っていた。

それが、やってみると逆にこどもと過ごす時間が快適になることがわかった。

手は仕事をしているが頭の中は他の世界に行ける。そして手仕事だけに集中しているように見えるが、同時にこどもの動きも捉えている。

正面から向き合うと、こどもの随所が目に付いて、”こどもの為”という名目での叱言が増え、なかなか上手く行かない。しかし手仕事しながらだと、要らぬ発言が減る。

お母さんがそうだからこどもも快適…となる。 

(1年目 Wさん)

横浜シュタイナーこどもの園 手仕事の会 | みなさんの声「手仕事とわたし」 より引用

とても子煩悩なWさん。手仕事を通して、上手に子離れを始めたんですね。

お母さんから離れた時、その子は、お母さんがいるときとは違う表情を見せます。そうやって少しずつ離れていく。

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いつか子どもを自由へと解き放つときのための、心身の準備に、手仕事は助けになります。

それは、現在中3育児中の私にこそ、言えることなのです。

部活にハマり、スマホダラダラ、勉強しない。とんでもない荒野に行くんじゃないだろうか、と、つい心配になるし、その子の行く先も知らないのに、「勉強しなさい」が口を突いて出るわけです。

その子が選んだ道がとんでもない荒野だったときには……、私は、見守り切れるだろうか。経済的には……支えきれないぞ。

いずれにせよ、そうなった時には、手仕事をしながら、誰かに愚痴混じりに話しているでしょう。

とはいえ、冒頭の女子高生。

冒頭の女子高生。彼女の周りでは、お母さんやそのお友達たちがいつも何かを作っていました。

お母さんは編み物もとても上手で、ちょっとしたものはすぐに作っていたんですね。もちろん、お母さんにお願いして、教えてもらったりもしたそうです。もしかしたら、出来上がらずに投げ出したものも、あるかもしれません。

そんなことはいいのです。子どもは、過程を楽しむことができる存在*1だから。

押し付けるつもりもないし、「好きな道を行け」と思うけれども……それでも、ちゃんと伝わってたみたい、ってことと、やっぱり、同じものを好んでもらえて仲間が増えるってのは、嬉しい。

黙ってニヤリの、私と友人です。


<今後の予定 横浜・Umiのいえ>

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本・その他の情報

www.wonders.fun

 

*1:拙著「てしごと はじめのいっぽ」のシュタイナー幼稚園教師へのインタビューにて詳述