てしごと はじめのいっぽ!

日々の暮らしに手仕事を。

手仕事作品を売るときに。

 

美しい手仕事・刺繍ボール

最近、「刺繍ボール」と呼ばれるものを、教えています。

布を丸めてボールにする。球を作る、微妙なバランス。流れるように色を刺繍していく。色選び、流線の作り方。

様々な感覚が刺激される手仕事です。

とても頑丈にできているので、子どもも思い切り遊べます。

一つ作るのに、一ヶ月くらいはかかるかな。でも、何度でも作りたくなるアイテムです。

 

f:id:mizugame23:20181018075335j:plain

すごく時間がかかるけど、作業自体はシンプル。瞑想的で、トリコにさせる手仕事です。

さあ、いくらで売りましょう。

たくさん作りたい。でも、我が家にはそんなにたくさんは要らないな。そうすると、「お金になればもっといいな」「売りたいな」ということになります。

例えばそれが幼稚園のバザーだったりしたら、「売れば、園のためにもなるし」という理由もプラスされます。

f:id:mizugame23:20181018081749j:plain

でも、ちょっと待って、考えてみてほしいのです。

じゃあそれ、10円って言われたらどうだろう。「それは悲しい……」って思いますよね。

じゃあ、10万円、って言われたら。高すぎて申し訳ない? そんなの、売れないよ、とも思うかな。

そして、「素人が作ったものだから」「好きで作ってるのだから」等々と言い訳を付けて、1万円だ、3千円だ、でも安すぎない? でも買う側からすると高いよね、とモヤモヤします。

聞かなきゃいいのに、作ったことがない人に意見を聞いて、「いやーその値段じゃ高いかもー」なんて言われて、ちょっぴり傷ついてみたり。

時給換算したら……という考え方も浮かんできます。あれ、ちょっと待って、そもそも、「時給」という表現でいいの? これは、「労働時間」で計算できるものなのか?

しかも、モヤモヤした結果出した「5千円」という価格、幼稚園規模で冷静に考えると、1個それが売れたところで大して足しにもならないときた……。

 お商売っぽい言葉を並べているけれど、結局本気でビジネスにするほどの気はないし。そもそも計算が甘いことも分かってる。

私も、ずっと考えてきたことで、今だに結論が出ないことです。

でも、ふと疑問に思ったんです。

「どうして私は、これをお金に換えたいと思っているのか」

どうして無償で差し出すことに、抵抗を感じるのでしょうか。どうして少しでもお金に換えたいのか。それも、10円だと嫌だけど、1万円だと嬉しいのか(どちらも「対価」としては妥当とは思えないのに!)

  • 「お金を生むこと=生産性がある・価値がある」「お金を生まないこと=価値がない」という思い込みがあるのではないか? 「この作業はお金にならないのに楽しんでしまうこと」への罪悪感があるのではないか?

「お金にすることで許される」ような気分になっていたのです。「許される」って、何でしょうね。

誰が、誰に許されるのでしょう。

誰が誰を許したいのでしょう。

誰が誰を許していないのでしょう。

  • 高い値付けができない(安くしたくなる)ときは、「売れない=私が否定された」、「売れた=私が認められた」と感じてしまうのでないか?

ちょっと落ち着いて考えてみると、私の作ったものが売れないことと、私とは、何も関係ないんですよね。

自分の作ったものが何年も残り続けるのは、ちょっと気恥ずかしいというかバツが悪いけれど……。飛ぶように売れると、かっこいいけれど……。

社会から切り離された*1お母さんたちは、そこを分けて考えることに慣れていないかもしれません。

でも、そこを分けないと、長続きしないのです。

それに気づいてから、「売れないから」という理由で、何でもかんでも手作り品を安売りするのは、私はもう終わりにしました。売れない=値段が高いから、だけではない。

価格は、この価値が分かるひととともに喜びを分かち合うための、数字に込められたメッセージなんじゃないかな。

そしてそもそも「お金」だけが価値じゃないよね、ってことを、私たちは手仕事を通してたくさん学んでいるはずなのに、ヨワイんですネ。

価値観が変わったとき

ちょっと前にハマってたくさん作っていたころ、バザーでいくらで出そうかななんて考えていたのですが、たまたまタイミングよく、周りに喜んでくれる人がいたので、このボールをプレゼントしました。

とても価値があると思っているものを、手間暇かけたものを、「(お金と)交換」ではなくて、ただ、差し出した。もらってくれたらうれしいな、と思ったから。それは犠牲ではなく、私にとっても喜びだった。

さらに喜んでもらえた、それが「対価」としても、十分すぎるくらいだった。

「ああ、作品を誰かに譲るときは、これが基本なんだ」と、そこで、感覚と見え方が変わったように思います。

そのときに「もう、いくらでもいいや」と思えました。お金は、また別の話だな、と。感情が整理されて、新しい考え方ができるようになりました。

 簡単にできる手仕事だとここまでは考えないけれど、刺繍ボールのように手間がかかるものは、つらつらといろんなことを深く考える時間を与えてくれます。

f:id:mizugame23:20181018081751j:plain

だから、こういう長時間系手仕事もめっちゃ大事。人生を豊かにします。

尊敬する須永さんという和尚さんが、戒名代っていくらくらいがいいんですか、という質問に対し、「戒名を付けるのに命を懸けているから、一円でも高いし、一億円でも安いんです」と(正確ではないのですが)おっしゃった。その言葉が、手仕事を続けるごとに、じわじわ沁みてきます。

慌ただしい世の中で、なかなかそういう体験ができなくなっていますが、ぜひ立ち止まって考えてもらいたいなと思います。

*1:一般にそう言われますね。でも私はそうは思いません。子育て中のご近所付合いだってPTA的活動だって、なかなか立派な社会です。魑魅魍魎が跋扈する暗黙の了解と不文律とノールールの世界。予算はないし話が通じるとは限らないしパソコン使えない人なんてザラにいるし、何ならフツーの社会より厳しいとこあります